「あなたは自由か?」

2023年8月13日主日礼拝説教梗概

ヨハネの福音書8章31~59節

説教:安藤友祥主任牧師

 イエス様とユダヤ人との対話が続きます。先週はイエス様が「私は世の光である」という宣言を聞いた人々との対話でした。平行線となってしまった対話。けれども30節を見ると、イエス様を信じた人々がいたことが分かります。そのイエス様を信じた人々に対して、イエス様は31~32節の言葉を語ります。けれどもイエス様の「自由にする」という言葉が引っかかってしまうユダヤ人たち。彼らは自分たちはすでに自由だと考えていました。けれども、イエス様は彼らを自由ではなく、罪の奴隷状態であると言います。このことをきっかけに対話というよりも論争が始まります。自分たちは自由だと信じて疑わないユダヤ人。彼らの自由の根拠はアブラハムの子孫だということでした。けれどもこの福音書の冒頭、1:13にあるように救いは血筋によるものではありません。誰の子孫か?ではなく、イエス様のみ言葉を聞き、真理を受け入れなければ救いはなく、罪の奴隷状態です。

 罪の奴隷であるといわれ、悪魔の子とすら言われる。ユダヤ人たちは冷静ではいられません。自分たちへの言葉を否定するために、結果としてイエス様を否定し、イエス様を信じていると言いつつも最終的にはイエス様に石を投げつけようとしてしまいます。

 イエス様の言葉は人間の状況を浮き彫りにする言葉です。なぜこのような言葉をイエス様は言うのでしょうか?イエス様は否定するためではなく、救いへの道に導くために語られます。イエス様を信じた人々に対して、自分の言葉にとどまるように。真理を知るようにと伝えています。そうすると自由になると。イエス様は罪の奴隷から解放し、自由にするために来られました。ですが、自分が自由だと考えている人は、イエス様に自由にしてくださいと求めることができません。イエス様のことばを聞くときに「イエス様がおっしゃるなら」と謙遜に聞き、受け止めることが大切です。そうではなくては否定してしまい、イエス様のことばは私たちの内側にとどまりません。イエス様はユダヤ人たちの内側にイエス様のことばを見つけることができませんでした。

 自分を罪に定めようと罵り、殺そうとしてくるユダヤ人。愛そうとすら思えない態度です。けれども、イエス様は彼らをそんな不自由、罪の奴隷から解放するために十字架にかかられます。神様のことばに従う自由を与えるために、真理である方、イエス様は来られました。

投稿者プロフィール

setachu
setachu