「イエスとの平行線」

2023年8月6日主日礼拝説教梗概

ヨハネの福音書8章12~30節

説教:安藤友祥主任牧師

 イエス様とパリサイ人達の対話が書かれている箇所を開きました。けれども、この対話、どこか平行線を感じます。イエス様がご自分の事を「世の光」であると宣言したことをきっかけに始まった対話。そして、この対話の中にパリサイ人、また人間の罪が浮き彫りになります。

 イエス様は「わたしは世の光である」とご自分の事を証しされました。イエス様が世の光。イエス様の他に世の光はありません。むしろ世界は闇に覆われています。闇の世界に光が輝く。希望のように聞こえますが、世界は光を喜びませんでした。闇の方が都合がよかったからです。イエス様はご自分の民のところに来たのに、民はイエス様を受け入れず、信じず、拒否しました。まさにその出来事が起こっています。イエス様がご自分の事を証しされたのに、パリサイ人はそれを信じません。偽りだと言います。彼らは自分たちは知っている。わかっている。神様を知っていると考えて生きていました。けれども、イエス様はそんな彼らを批判し、神様を知らない。そして罪の中で死ぬと言われます。パリサイ人達は自分たちが霊的盲目であるのに、見えていると錯覚していました。闇の中を歩んでいるのに、光の中にいると錯覚していたのです。ここに罪の恐ろしさがあります。イエス様はそんな彼らの現実を教えます。イエス様が神様であるという事を信じないから、あなた方は罪の中で死ぬことになる。イエス様は命へと導く世の光として、彼らにもその光に従う事を願っています。イエス様を光であると知ることは、自分が盲目であると知ることです。

 パリサイ人達は自分たちは正しいと考える罪の中に居ました。結果、真実であるイエス様を嘘の証言をしていると裁き、罪を示されても真剣に取り扱いませんでした。私たちも自分は正しいと思いたい欲があります。そして誰かを罪に定めたりしてしまう事があります。正しく裁けるのは神様だけです。自分も罪を犯す存在であることを忘れずに、また闇の中を歩まないように、光であるイエス様を求め従いましょう。イエス様以外に世の光はありません。イエス様に従うときにだけ、私たちは命の光を受け取るのです。

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