「主は生きておられる」
2024年3月31日主日礼拝説教梗概
聖書:ルカの福音書23章50~24章12節
説教:住友曉伝道師
イエス様は私たちを罪から救うために、十字架に架かられました。イエス様を救い主だと信じてきた弟子たちにとって、まさかの出来事でした。何も罪のない神の御子イエス様が、罪人として十字架刑によって殺される。それほどまでに神は私たちを愛してくださり、ご自身と私たちの関係を回復したいと願っておられました。この出来事を信じ、悔い改める時、私たちの罪は赦されます。しかし、神の愛は主の十字架の死で終わりではありませんでした。神はアリマタヤのヨセフを用いられました。ヨセフはイエス様を信じ、神の国を待ち望んでいましたが、議員でありながらイエス様の裁判で何もすることが出来ませんでした。十字架上の「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです」の言葉が刺さります。彼はイエス様の姿に神の国を見て、変えられ、勇気を持ってピラトに許可をもらい、イエスを真新しい墓に埋葬しました。議会の正義はイエスを十字架につけることでしたが、彼は神の国のやさしさ、神の愛を選び取ることができました。イエス様の愛に触れる時、愛と優しさに行為へと人は変えられていくのです。
様子を窺っていた女弟子たちは、イエス様が収められた墓を同定すると、安息日が明けた日曜日の早暁、香料をもって駆け付けましたが、墓は空っぽでした。彼女たちに、現れた天使は、イエス様の御言葉を思い起こすように促します。彼女たちはイエス様が十字架に架かり、3日目によみがえると言っておられたことはこのことかと分かりました。私たちも、人生の中で御言葉を聞いてその時は分からなくても歳を経て分かるということを経験します。今、分からないからと御言葉から離れるのではなく、御言葉に聴き続けるという土壌があればこそだと思います。イースターの朝は、戸惑いと驚きに満ちていますが、やがて続々と目撃証言が現れて、喜びに満たされたイースターとなりました。十字架の死で終わったのではなく、主は死を打ち破り、よみがえられた。弟子たちに出会ってくださった主は、今も生きて、私たちに出会ってくださいます。これからも、毎週の礼拝においてその主に出会い、喜びに満たされてまいりましょう。イースターおめでとうございます。
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