「ペテロの『三回』」
2022年5月29日主日礼拝説教梗概
聖書:ルカ22章31~34節、ヨハネ21章15~19節
説教:安藤友祥主任牧師
ペテロという人物そして彼の痛みと回復の出来事に目を向ける時、彼の痛み、傷、後悔に直視させ、回復へと導くイエス様と出会います。そしてそれは私達にも同じように関わってくださるイエス様と私達は出会います。
どのような事があっても従うと告白したペテロが、三回もイエス様を知らないと否定してしまう。信仰がふるいにかけられることがある事を知ります。ペテロもその試練に打ち勝てなかった。信仰と言うのは、自分の熱意や思いの強さとは違うものです。信仰に関して「自分は大丈夫」だという言葉は一番危険です。そこにサタンはつけ込み、一番肝心なタイミングで自分の信仰の弱さを突き付けてくるのです。
裏切った弟子たちを見捨てず、イエス様は回復のために出会ってくださった。ここでのやり取りは、ペテロにとって苦々しい思い出をよみがえらせる時間でした。知らないと言った同じ口で、三回イエス様を愛しますと答えるのです。三回にわたるペテロの告白を聞いたイエス様は「私の羊を飼いなさい」と招きます。一度は裏切ってしまったペテロに、再び招きの言葉を与え、イエス様の弟子として新しい一歩を踏み出す機会を与えてくださった。そして、そのペテロはその後にイエス様の弟子として生き抜いて、死の時さえも、その死を通して神様の栄光を現しこの世を去っていったのです。
私達も罪ゆえにイエス様に会いづらい時があります。そのような時にこそ、イエス様の十字架、イエス様の憐みが必要な時です。その時に私達は自分の方からイエス様を避けてはいけません。命である方から離れようとしてはいけません。
イエス様はこの朝のように出会ってくださる方です。ペテロの失敗に対してもそこで見捨てるではなく、失敗することも知ってくださった上で祈り、とりなし、回復の手を差し伸べ、共に歩む生き方へと招いてくださるのです。私たちもペテロと同じように、イエス様からの歩み寄りがなくては、一生共に歩み通すことは出来ません。私たちもイエス様と共に歩むことで、神様の栄光を現すことが出来る。そのような人生へと招かれているのです。
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