「人に石を投げる権利」
2023年7月23日主日礼拝説教梗概
ヨハネの福音書8章1節~11節
説教:安藤友祥主任牧師
イエス様はこの箇所で、姦淫の罪を犯している女性、そして偽善の罪を犯している律法学者たちと向き合われます。イエス様を告発する理由を探す律法学者たち。彼らのイエス様への挑戦は、律法の権威、ローマの権威、どちらを認めるか?というものでした。けれども、そのために公衆の面前にさらされて、場合によって石打で殺されてしまう女性。一見、かわいそうにも思えます。けれども、彼女はそれをすると殺されるとわかっていて、姦淫(不倫)の罪を重ねていました。命の危険を冒してまで関わりを持ちたい男性と出会ってしまった。それが悪いと分かってはいる、けれども、それ以上にその事を求めてしまうという状況に、すでに彼女はどっぷりと浸かっていたのです。この日、自分がやっている事が、自分の命に関わる、命の危険を招く行為であったことを改めて思い知るのです。
律法学者たちは偽善、独善、自分たちは正しいとする根本的な罪の中に居ました。本来ならば、姦淫の罪を重ねないように止める事も出来たはず。けれども、イエス様をはめるという目的のためなら律法も利用する。自分たちが裁ける立場にあると勘違いしていました。
イエス様は彼らの声を聞き流していましたが、ついに立ち上がり「罪を犯したことがない者から石を投げなさい」と伝えます。この一言は自分を振り返り反省する言葉です。そして気づくのです。誰も石を投げることは出来ないと。告発者たちは告発される側となり、誰もそこにいることは出来なくなりました。残された女性とイエス様。イエス様は彼女に「私もあなたにさばきをくださない」と憐みの心を示されました。それはイエス様が彼女の罪のためにも十字架にかかられるからです。憐れみを示したイエス様は、彼女を義へと導きます。「もう罪を犯してはいけない」と送り出される彼女。ただ、私たちも同様に憐れみを受け、赦されている。「罪を犯してはいけない」と言われているのに、繰り返し罪を犯してしまいます。私たちはどうすればいいのか?悔い改めの心をもってイエス様の身元に行くのです。イエス様から距離を置くときに、赦しからも遠ざかります。弱さを知りつつ救ってくださったイエス様から目を離さないでいましょう。
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