「備えは出来ているか?」

2022年4月24日主日礼拝説教梗概

聖書:エペソ人への手紙6章10~18節

説教:安藤友祥主任牧師

 今日の箇所を読む時に私達は問われます。戦いの中に置かれている自覚はあるのか?また戦いに必要な備えは出来ているのか?そしてそれはふさわしい備えなのか?
 パウロは神様に強められる必要を伝えます。ここにある「主にあって」という言葉。1章で繰り返し使われ、エペソ人への手紙の全体を貫くテーマとも言える言葉、In Christという言葉が使われています。
 パウロは言います。イエス様にあって、その大能の力によって強められなさい。ではなぜ私達がその力で強められる必要があると伝えてきたのか?私達は悪魔の策略、攻撃が来ることは分かっている。その時にあなた方は、堅く立ちなさいとパウロは言うのです。「自分の力で」ではなくイエス様にあって、神様の大能の力で堅く立つのです。堅く立つことができるように、神の全ての武具を身につけなさいと教えます。
 パウロが神様の武具として挙げるもの。真理、正義、平和の福音、信仰、救い、御霊、神のことば。どれか一つでも欠けているならば、そこが急所、弱点となります。全てを身に着け初めて必要な備えが整い、悪魔の策略に対し堅く立つ事が出来ます。
 パウロは武具について語り、それをまとった聖徒たちに共同体での祈りの必要を訴えます。私達は神様に救われた者として、共に最前線に置かれ、ともに悪魔の策略に直面し、悪魔の挑戦を受けています。自分だけではなく、それぞれが揺さぶりを受けています。自分が武具をしっかりと纏う必要があるならば、同じ救いにあずかっている信仰共同体の一人一人が、同じ祈りをささげ、同じ祈りを必要としている事に目を向けさせられます。パウロは言います。すべての聖徒のために祈りなさいと。自分も相手も祈りが必要な聖徒なのだという事。もちろんパウロも祈りを必要としていました。自分で祈る事も必要です。そして信仰の友の祈りも必要です。その信仰の友も祈りを必要としています。私達は戦いの中に置かれています。この戦いは再びイエス様が来られる時まで終わることは有りません。だからこそ、私達は御霊によって、御霊の導きによって祈り続けなくてはいけません。

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