「主はよみがえられた」

2022年4月17日イースター礼拝説教梗概

聖書:マタイの福音書27章57節~28章20節

説教:住友曉伝道師

「ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです」
 空っぽの墓の前で、天使は宣言しました。この復活告知こそ、福音の中心点です。
 神様は、私たちを愛して下さっていて、罪によって引き裂かれた私たちとの関係を回復しようとお考えになりました。神様のご計画は、神の子イエス様を地上に送り、罪を知らないイエス様が、私達の罪を負って、私たちの身代わりとして十字架にかかり殺されることで、私たちとの関係の正常化を図ることでした。しかし、イエス様の生涯は十字架の死で終わりませんでした。イエス様はユダヤの宗教指導者やローマ兵士たちの努力も空しく、父なる神によって復活せられました。イエス様の復活は私達に次のような意味をもたらしました。
①復活によってイエス様がまことの神であったことが示されました。世に在って、神だ偉人だという人は多く現れましたが、イエス様だけが唯一人、死人の中から復活し、神の子であることを公にしました。
②復活によって十字架で示された私たちの救いが確実であることが保証されました。
 イエス様は、旧約聖書で預言されていた通り、十字架上で贖いを成就しましたが、復活によって罪に対する刑罰である死、罪と共にこの世に入り込んだ最後の敵である死にも打ち勝ちました。私たちは、イエス様をキリスト、私たちの主、救い主であると信じる時、罪の支配から解放されて、イエス様の勝利を自分のものとして、永遠のいのちにある新しい歩みを始めることが出来るのです。
③復活によって私達にまことの希望が与えられました。イエス様は死者の初穂として復活されました。イエス・キリストを信じる私たちにもまた、肉体の死をもって終わるのではなく、天の御国の約束とやがての復活の希望が与えられました。
 イエス様は十字架にかかり、確かに死んだが復活した。私達の信仰の土台、真の信仰の確信はここにあります。イースターの今日、私たちは、使徒信条で「罪の赦し、身体のよみがえり、とこしえのいのち」と唱えます。主の十字架と復活によって、罪の赦し、身体の復活、永遠のいのちが私たちのものとせられたことを、「願います」ではなく、「信じます」という確信の中にいることを覚えて、新しい日々を生かされてまいりましょう。

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