「恵みの務め」

2021年9月5日礼拝説教梗概

聖書:エペソ人への手紙3章1~13節

説教:安藤友祥主任牧師

3章に入ると、パウロはキリストにおいて明かされた神様の奥義、みわざ、計画を織り込みつつ、自分が今置かれている状況について書いています。パウロに与えられた恵みの務めとは神様の奥義を宣べ伝えるという務めです。奥義とは、キリストを通して、天も地も異邦人もユダヤ人も一つとされるという計画。当然この事を伝える時に反発が起こる事はパウロも予想していたはず。けれども、パウロはそれを伝えずにはいられなかった。その働きに自分が召されていると確信していたからです。パウロはこの働きも、働きに必要な力も神様から与えられるものだと自覚していました。計画の中心はイエス様でした。1章でも繰り返していたように、全ての事が、キリストにあって実現してきました。同じように、これまで確かにそれが実現してきたように、これからも、キリストにあって神様の全ての計画は実現していく確信を私たちは持つ事が出来ます。そして、このキリストへの信仰によって、私たちは神様に近づく事が出来ます。以前の事を気にすることなく、恐れることなく神様に子として祈る事が出来るのです。これも恵みです。私たちは苦難がある時に、苦難を味わうかもしれない時に、不安を覚えたり、出来たら避けたいと考えます。パウロは福音のために苦難にあっていました。パウロは召しに応える為に苦しみに会う事は予想できたはずです。けれどもパウロは召しに立ち続けました。それ以上にキリストから受けている恵みが、愛が大きい事をパウロは体験していたからです。苦しみの中にいる時、神様が遠くに離れているのではないかと考えたくもなってしまいます。けれども、今日の箇所はそのような考えに違う光を与えます。神様の計画の中に苦しみが含まれている事もあるのです。この時のパウロもそうですし、イエス様を見ていてもそれは明らかです。苦しみで終わる事は無く、神様の栄光の約束が私たちに与えられていることを今日、確認したいのです。パウロは、自分に与えられている召し、務め、役割を知り、その働きに喜びを持ち、恵みを覚えていました。同じように、救われた私たち一人一人にも役割、務め、召しを神様は与えて下さっています。

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