「平和をつくる者の幸い」

2021年2月28日礼拝説教梗概

聖書:マタイの福音書 5章9節

説教:安藤能成主任牧師

「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子と呼ばれるからです。」 (マタイ5:9)

 平和とは何でしょうか。それは人々の生活が安定して守られることです。それを脅かすものは戦争だけではありません。権力による抑圧、自然環境の破壊、災害も人々の生命を脅かします。子どもへの虐待もあります。そのようなことから平和を守り平和を取り戻す働きは平和をつくることになります。

神の子であり、人の子として来られた主イエスは真の平和をつくる人でした。イザヤは「その名は・・平和の君と呼ばれる」と預言しています。主イエスは平和を実現するために律法に従って正義を取り戻すように教え、また人々を癒すことによってその人たちの平和をつくりました。

 また、ご自分を襲ってくる者たちに向っても常に平和を貫かれました。徹底的に暴力を否定しました。ゲツセマネの園に捕える者たちが来たときもそうでした。また「目には目で、歯には歯で」とのことには「悪い者には手向ってはいけません。あなたの右の頬を打つ者には左の頬も向けなさい」と言われました。

 なぜ平和が脅かされるのでしょうか。それは我々人間が根本的に持っている罪のためです。自己義認と貪欲が個人においても国家においても主張されます。そして侵略などの行為が起こされます。

 さて、究極的な平和は神との平和です。それがなければ真実な平和は個人にも集団にも実現しないということです。他の部分で平和を築けても完全な平和を得ることはできません。たましいの平和は神との関係でこそ得られるからです。ヘブライ語で平和はシャロームです。それは神から与えられるもので、それはまた周りがどんなに混乱と争いがあっても神との間には平和があるという意味でもあります。戦時中にも個人の平和は保たれます。その神との平和こそ私たちにとって肝心だということです。

 そして主イエスの求めは私たちが平和をつくる者となることです。

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setachu
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