「あわれみ深い者の幸い」
2021年2月7日礼拝説教梗概
聖書:マタイの福音書 5章7節
説教:安藤能成主任牧師
「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。」(マタイ5:7)
あわれみ深い者とは情愛が豊かであるということもありますが、聖書が教えるあわれみは心の思いだけでなく具体的に困難な人を助ける人を指しています。この箇所の関連個所、箴言19章17節には「貧しい者に施しをするのは、主に貸すこと。主がその行いに報いてくださる」とあります。ですから、あわれみとは具体的な行動を伴うことであることがわかります。主イエスは次のようにも教えています。「あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる人は、決して報いを失うことがありません」。また「これらの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです」と。これらの主イエスの教えはレビ記の律法に基づくものです。すなわち「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。わたしは主である」(19:18)。主イエスが言われたように、主は律法を成就するために来られたのです。
ヤコブ書には「あわれみを示したことがない者に対しては、あわれみのないさばきが下されます」とあります。私たちは主イエスにあるあわれみの心を持って行動することが求められています。
どのようにすればよいのでしょうか。そのような機会を与えてください。気づかせてくださいと神に祈ることからはじまります。あわれみを必要としている人々は私たちの周りだけではなく世界中にいます。求めはたくさんあります。
私たちが神の救いに与るためにはどのような行いも必要とされませんでした。ただ神の恵みによってでした。けれども救いを受けてキリスト・イエスのものとされた今は、キリストが人々に施された善い働きに倣うことが求められます。
あわれみは物を施すだけではなく、愛の心を向けることでもあります。悲しんでいる人には慰めを、弱っている人には心からの同情を、心に痛みを持っている人には寄り添って心の声に耳を傾けること、寄り添うこと。私たちが主のあわれみを受ける者になれますように。