「礼拝者への招き」

2021年2月14日礼拝説教説教梗概

聖書:ヨハネの福音書4章1~26節

説教:安藤友祥牧師

 この箇所で起こっている事は、イエス様から女性に対する礼拝者への招きです。イエス様はこの女性に出会わなくはならないと考え、当時のユダヤ人たちが避けていたサマリヤの町へと向かいました。人に会う事を避け昼間に井戸にやって来た女性と出会うイエス様。イエス様はご自身が与える神様の賜物、生ける水について女性に語り掛けますが、かみ合わない対話。霊的な事柄について語るイエス様と物質的な事について語る女性。女性は字義的にイエス様の言葉を受け取っていました。イエス様は女性に必要な生ける水へと気づかせるために、女性が抱えている罪の問題へと目を向けさせる言葉を伝えました。

 自分の触れられたくない出来事にいきなり触れて来る見ず知らずのユダヤ人男性。女性は話題を変えようとあえて話題を反らします。イエス様が私たちを礼拝者へと招こうと出会う時、最初に体験する事は自分の中にある渇き、罪と向き合わされることです。そして、その事と向き合わなくては、私たちもイエス様の下さる生ける水、救いを受け取ることは出来ません。イエス様は渇きに気付かせる方ですが、渇かせるためではなく、渇きを満たすために出会ってくださる方です。

 イエス様は女性との対話の中で、新しい礼拝を捧げる時代、御霊と真理によって礼拝をする時代が来ると宣言されました。神様は御霊によってきよめられ、イエス様によって明らかにされた真理に基づいて礼拝する礼拝者を求めておられます。その時イエス様は「神」ではなく「父は」と神の子どもとされる特権と恵み、その親しさの中に招かれている事も伝えています。

 私たちはきよい生きた供えものして礼拝を捧げます。私たちが神様への供え物としてふさわしく歩めるように、御霊によってもたらされた新しい神様との関係の中、礼拝者として整えられる必要があります。

 イエス様は私たちが抱える本質的な渇きの解決のため、罪からの救いの為、礼拝者として招くために、私たちと出会ってくださいます。その出会いは痛みのある出会いかも知れませんがその先には永遠の命に続く出会いです。

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setachu
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