「拒絶されたメシア」
2022年3月13日礼拝説教梗概
聖書:ルカの福音書4章21~30節
説教:住友曉伝道師
イエス様の故郷ナザレの会堂での最初の説教は、最初こそ、ホームグラウンドならではの歓迎ムードでしたが、結末はよもやの展開になってしまいました。イエス様は、大統領選挙のように、“メシアとなったらこのことを実現します”とか、ヴィジョンを語ったのではありませんし、「こうすればあなたは救われる。地獄に行かずに天国に行ける」というようなアドバイスを語ったのでもありません。イエス様は、イザヤ書のメシア預言を朗読し、「今日、この聖書のことばが実現しました」と、神の国到来の福音を語りました。それは、神様が、主イエスご自身を通して”もたらされた事実”、”実際起こった出来事”を伝えた「良い知らせ」、「福音」でした。
イスラエルがずっと待ち望んでいた知らせ、新たな王の到来を告げる知らせだったのですが、ナザレの人々は、信じ受け取ることができず、驚きはしましたが、喜びませんでした。イエス様の説教が神様のみ言葉としてではなく、ヨセフの息子の言葉として聞かれてしまっているのです。
神のことばではなく、彼らがしるしを求めていることに気づいたイエス様は、旧約聖書から、預言者エリヤとエリシャを通して神様の恵みを受けた二人の異邦人の話をされました。”神の民イスラエルが預言者の言葉に聞き従わない時代に、異邦人の二人が預言者の言葉を信頼して従った結果、恵みを受けた”という話。神様はユダヤ人のための神様であり、メシアはイスラエルを救うために来られるのだと聞いて来たナザレの人々にとっては受け入れ難い話でした。激怒したユダヤ人たちは安息日にも関わらず、会堂からイエス様を引きずり出し、町の外まで追い出して崖から突き落として殺そうとまでしました。しかし、まだ十字架と復活の時が来ていませんでしたので、イエス様は群衆のただ中を通ってナザレを去りました。
神様の恵みからイスラエルが漏れないようにと、愛ゆえの厳しいメッセージでしたが、ナザレの人々は受け取ることが出来ませんでした。
ナザレの人々が求めた救いのしるし、十字架と復活に与っている今に生きる私たちは、どうでしょうか。礼拝で神様の厳しい言葉が語られる時、ナザレの人々のように耳障りなものとしてはいないでしょうか。今日の礼拝もまた、神様の救いの歴史の中に置かれ、説教も賛美も祈りも全て、イエス・キリストを指し示しています。「自分」ではなく「神」を主語として、語られた神のことばを受け取り、信頼し従っていけるよう祈ってまいりましょう。
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