「キリストの証人」

2024年4月14日主日礼拝説教梗概

ヨハネの福音書 18章12~27節

説教:安藤友祥主任牧師

 

 

 

 

 福音書を書いたヨハネは、この箇所で、イエス様の尋問と、ペテロの出来事を並べ、対比させながら私たちに教えます。「もう一人の弟子」のおかげでイエス様が尋問されている大祭司の家の中庭に入ることが出来たペテロ。けれども、彼はここで、イエス様からの悲しい預言を成就させていきます。召使の女性に「イエス様の弟子ではないですよね?」と問われたペテロ、とっさに弟子ではないと否定してしまいます。一度ついた嘘は、修正、訂正されることなく、嘘が重ねられていきます。

 ペテロが嘘をついているその時、イエス様は自分の弟子と教えに関しての質問を受けていました。イエス様は自分は公然と、しかも大祭司の管轄である会堂や宮(神殿)で教えていたことを証言し、自分の教えは、聞いていた人々が証人となるはずだと言います。本来、このような審問は本人からではなく、証人から聞くもの。非公式の尋問が、非公認の方法で行われていることを、権威をもって問いただすイエス様。さらにはイエス様の言葉に役人が暴行を加えるという、非公認の暴力まで行われます。正式な方法では勝てない指導者たちが、不正な手段を選ばざるをえない姿を見せています。

 イエス様は嘘をつかず真実を語り、不当な暴力を受けている時、ペテロは隠れ、嘘をつき、寒さの中、炭火で暖まっています。それだけではなく、イエス様が自分の証人は自分の話を聞いてきた人だと言っている、まさにその時、一番近くで聞いていたペテロはイエス様を否定しています。ペテロの最初の証人としての証言は否定の言葉だったのです。ペテロはイエス様の預言通りに三度もイエス様を知らない、関係ないと言ってしまいました。命を捨ててでも従うと大言壮語していたペテロは、自分の決意、思い、覚悟に信仰の土台を置いた結果、失敗してしまったのです。

 福音書は私たちに重なるペテロの弱さ、失敗を見せると同時に、ペテロに関わるイエス様を教えます。ペテロの否定もイエス様はご存じでした。確かに痛みや悲しみはあったはず。けれども、回復までをイエス様は計画されていました。17:12でイエス様が「失われないように」と祈った1人がこのペテロなのです。ペテロには挫折と回復の経験が必要でした。そして、ペテロはイエス様の証人として、奉仕していくのです。

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