「救うために来た」

2023年10月22日主日礼拝説教梗概

ルカの福音書19章1~10節

説教:安藤友祥主任牧師

 ルカは福音書の終盤、イエス様がいよいよ受難のためにエルサレムへと入場する前にエリコと言う大きな町を通過したこと、そしてそのエリコの町でザアカイという取税人と出会われる姿を書き記します。ザアカイはエリコの町の取税人のかしらでした。ローマ帝国への税金を徴収する仕事。それだけでなく、本来よりも多く金を集めて私腹を肥やしていた人々。ローマ帝国の手先のように思われ、またユダヤ人においては日常的に異邦人と接触しているという事からも「汚れている」と罪人のように扱われていました。

 エリコの町にやってきた噂のナザレのイエスが、どのような人かと一目見たいザアカイでしたが、背が低かったことから見ることが出来ない。ザアカイは機転を働かせ木に登ってイエス様を見ようとしました。イエス様が木のふもとを通られるときにザアカイに声をかけ、傍観者だったザアカイは当事者へと変えられました。ザアカイの家に泊まることにしているというイエス様の言葉に喜び迎え入れるザアカイ。ただこのイエス様の行動は、町中の人々に文句を言われる行動でした。人々につぶやかれつつも自分の友となってくれる、深い関係を築こうとしてくれるイエス様の犠牲を伴った愛を体験したザアカイ。彼はこれまでの生き方を悔い改め、自分の財産を人のために施すという宣言をします。その言葉を聞いたイエス様も宣言をします。自分は失われた者を捜して救うために来たのだと。

 確かにイエス様の行動につぶやく人々はいました。けれども、その言葉をかき消すかのようにイエス様の救いの宣言が響いてくるのです。イエス様はこのザアカイとの出会い、救いの出来事を、神様の必然、計画、しなければならないことと言う意味を持った言葉で表現されます。ザアカイが何かをしたわけでもなく、まず神様の計画、働きかけがあり救われるのです。ザアカイは「泊まることにしてあるから」というイエス様の言葉を受け、喜んで迎えた人物でした。私たちもイエス様を喜んで迎えたいのです。

 前回、金持ちの指導者の姿を見たときに、イエス様は言いました。人には出来ないことが、神様には出来るのだと。エリコの人からしたら「まさか」という人がイエス様に出会い、イエス様によって変えられました。人を変える出会いが、ここにあります。

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