「心が求めるように生きる」

2022年1月2日主日礼拝説教梗概

聖書:エペソ人への手紙4章17~24節

説教:安藤友祥主任牧師

 パウロが異邦人のような生き方と表現している生き方に、私たちも歩んでしまう危険性があります。その生き方とは、知性において盲目状態で見るべきものが見えていない生き方。イエス様の十字架の理解だけではなく、教会が信じ実践しようとしている事は、自己犠牲であり、他者のために命を捨てるような愛で生きることです。自分が大事、自分が一番。そのような価値観の世界の中ではそれは愚かにしか見えません。無知と頑なな心のゆえに、神様に従う生き方への招きを、自分にとっては良いものではないと判断してしまい、結果として命である神様から離れてしまう生き方。

 パウロは三つの動きを表現します。古い人を脱ぎ捨てる。霊と心において新しくされ続ける事。新しい人を着る事。「人を欺く情欲によって腐敗していく古い人」。自分を守るために、自分を優先するために人を欺く。結果として神様をも欺こうとする人。自分の情欲のせいで腐敗していく古い人。そのイエス様の様ではない生き方を脱ぎ捨てることが出来るのだと教えます。

 さらに、霊と心において新しくされ続ける必要を語ります。パウロは考えます。確かに実際的な行動を正す必要もあると。行動は全て心から出てきます。古い人も、情欲を求める心から、そのような行動をしてしまう。ならば私たちはどうするのか?神様によって霊と心を日々新しくされ続ける必要があり、新しくしてもらうように、祈り求め続ける必要があります。心が新しくされ続けることで、結果として生き方や行動が、新しくされた心が求めるものへと変えられて行きます。

 イエス様に基づく義と聖さで生きる。24節の「神にかたどり造られ」という言葉は、創世記の人間が創造された場面を思い起こさせる言葉です。イエス様は完全な人間としてこの世界で生きてくださった。完全な人間として生きるとはこのように生きる事。完全な人間はこのように生きられるのだと示してくださいました。私たちは、以前の情欲に生きる生き方を捨て、心が新しくされ、新しい人を着ることで、命にある生き方が実現するのです。

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