「あわれみを忘れない主」

2023年12月10日主日礼拝説教梗概

ルカの福音書 1章26~56節

説教:安藤友祥主任牧師

 福音書記者のルカは、ザカリヤとエリサベツ夫妻の出来事の間に、この出来事を書いています。神様は、エルサレムにある神殿と言うイスラエルの中心地とも言える場所の次に、ガリラヤのナザレと言う片田舎に住む処女のもとにガブリエルを遣わします。

 ガブリエルはマリアの前に現れ「おめでとう」と祝福の言葉を伝えます。それを伝えられたマリアは、突然の祝福の言葉に戸惑います。ガブリエルはマリアが妊娠するという事。男の子を生むこと。名前をイエスと名付けなくてはいけないことを伝え、その男の子がどのような存在、役割の子かを伝えます。この時マリアはヨセフとの婚約期間中、体の関係を持っていません。マリアは、どうして妊娠するのか?私はまだそのような事はしないと伝えます。婚約期間中の妊娠は、不品行、姦淫の罪として石打で殺される危険もある出来事。妊娠がいつとははっきり言われていないのに、マリアは今現在の自分として受け取っています。それはガブリエルからの言葉を、今語られた、今ここで自分が聞いた、今の自分への言葉として受け止めているのです。マリアにとって神様の言葉は、いずれやいつかではなく、今の自分の現実に介入してきた、切り込んできた神の言葉だったのです。神様の言葉を聞くタイミング。受け止めるタイミング。それは、神様が語られた時が、そのタイミングだと言えます。

 ガブリエルは神様の言葉はすべて実現する、神様に不可能はないと伝えます。マリアは「お言葉通りこの身になりますように」と神様の言葉を信じ受け入れました。エリサベツと再会したマリア。エリサベツも同様に、神様の言葉を信じ切った人は幸いだと神様を賛美します。

 マリアは命懸けの選択が迫られました。これから自分が体験するであろう命の危機が頭をよぎったはずです。けれども、神様の言葉がこの身になりますようにと、神様を信頼し一歩踏み出しました。忘れてはいけないことは、この出来事を通して、聖霊によってマリアのおなかに入った、御子なる神であるイエス様も同じ命の危機の中に飛び込んだのです。マリアの胎内で、マリアとともにその危機を歩むのです。全知全能である神様が、強くなく、守られる必要がある存在として来られた。そんな王様の姿、当時の人が求める強く、守る王とは逆の姿をイエス様は私たちに見せるのです。

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