「守られますように」

2024年3月10日主日礼拝説教梗概

ヨハネの福音書 17章1~26節

説教:安藤友祥主任牧師

 

 

 

 イエス様は、弟子たちのために祈り始められました。この弟子たちのための祈りの中で「守る」という事を繰り返し祈られるイエス様の姿を見ます。イエス様は弟子たちのことを「神様のもの」であると言い表し、世から選び出されたと言われます。弟子たちは神様によって選ばれ、イエス様に委ねられた人たち。イエス様は弟子たちに神様の御名を現されました。これまでのイエス様の働き、ことば、教え、わざ、すべてが神様によるものだと。そして弟子たちはイエス様が神様から遣わされた方だと信仰告白しました。確かにこの夜の弟子たちの信仰告白は未熟でしたが、弟子たち以外の人とは決定的な違いがありました。当時の多くの人がイエス様の教えを聞き、わざを目撃しましたが、ほとんどの人は、イエス様は神様が遣わされた方だと受け入れませんでした。

 世からの迫害がこれから弟子たちを襲う。その状況の中、これまではイエス様が神様の御名によって守ってきたように、これからも神様の御名によって守られることを祈られます。弟子たちにはイエス様が去られた世に残ってやるべき役割があるからです。それは神様が実らすことを望んでいる実を実らせるという事。イエス様から受けた神様の言葉を伝えていく役割です。またイエス様は弟子たちがイエス様に従う事によって、喜びに満たされることを願っておられます。

 世において神様の言葉を伝え、イエス様を証しすること。それは拒絶、反発を生み出す働きです。サタンの妨害もあります。時として弟子たちは、その苦しい状況、世から取り去ってくださいと思うような時が来るかもしれません。ただイエス様は苦しむ弟子たちを世から取り去るのではなく、世に残し、神様の守りがあるようにと祈られます。

 イエス様は弟子たちが悪い者から守られ、世において、地上において、つまずくことなくイエス様に従い続けることが出来るようにと祈られます。サタンの攻撃は、私たちを神様から引き離そうとすること、信仰を失わせようとすることです。イエス様は弟子たちが、私たちがつまずかないように、信仰が保たれるように祈られました。イエス様が祈られる「守ってください」という祈りにはそのような意味が込められています。つまずくことが無いように。イエス様から目を離さずに歩めるようにと。

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