「私たちのための祈り」

2024年3月17日主日礼拝説教梗概

ヨハネの福音書 17章1~26節

説教:安藤友祥主任牧師

 

 

 

 

 イエス様は最後の夜の祈りの中で、繰り返し「一つ」と言う祈り言葉を祈られました。イエス様は10章30節で「わたしと父は一つです」と言われました。ここでの「一つ」が前提となります。父なる神様とイエス様の中にある「一つ」。それは父なる神様とイエス様は、その思い、働き、目的、行動において一致していると同時に、本質においての「一つ」、一体性です。17章でもイエス様は、「父なる神様の内にいる、わたしの内にいる。」「父のものはわたしのもの、わたしのものは父のもの。」とイエス様と父なる神様の神秘的な一体性について触れています。そしてイエス様が弟子たちに与えられる「一つ」はこの父と子の関係における「一体性」です。

 教会は、イエス様を通して、父と子の一体性に結び付けられています。主イエスが祈られる一致とは、イエス様の救いによって与えられる出来事。私たちがキリストのうちにとどまり、キリストが私たちのうちにとどまってくださるという神秘的な出来事の上に成り立つ一致、一体性です。ですから、私たちの「一つ」は神様のみわざによってでしか実現しません。イエス様の祈られた「一つ」は、十字架のみわざによって、送られた聖霊によって実現し、私たちは一つとされています。私たちは与えられた「一つ」一致を保つのです。

 ぶどうの木のたとえの木と枝の関係に見える一体性が、改めてここで触れられていることに気が付きます。聖霊が内に宿ってくださることでイエス様につながっている私たちは、イエス様と一つ。イエス様と言う幹につながっている一体性があります。そしてその一体性は、イエス様と思い、目的を同じにする一つにつながっていきます。イエス様を宣べ伝えるため、世が教会を通して神様を知るための一致です。与えられた「一つ」は役割のための「一つ」です。ヨハネの福音書で「一つ」が語られる時、世に対しての働きと関連付けられて語られていることに気が付きます。

 イエス様は、イエス様に繋がる共同体が、そしてそこに属する一人一人が、与えられた父と子の一体性にあって生きていく、イエス様の愛を現していくこと。神様がイエス様を遣わし、そのイエス様が私たちを聖別し、遣わしてくださっていることを証しする役割を果たしていくことが出来るようにと、祈ってくださったのです。

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