「心騒がせないために」

2024年1月7日主日礼拝説教梗概

ヨハネの福音書 14章1節

説教:安藤友祥主任牧師

 イエス様は14章1節の言葉を伝えると同時に、弟子たちが心騒がせないために、平安を与える約束を与えられました。14章にはイエス様と弟子たちとの対話が書かれています。ですが、そこを読む時に、弟子たちはイエス様と長く一緒に居たというのにイエス様の事を理解できていない姿を見せます。自分が安心する、満足するためにイエス様の父を見せてほしいと願うピリポの姿も私たちは見ます。

 イエス様は確かに去って行かれる。けれどもそれは一貫して弟子たちにとって益となる事であると言葉をかけ続け、約束を与え続けておられます。それに加えてイエス様はイエス様が去られることによって与えられる「もう一人の助け主」の存在を弟子たちに教えます。イエス様が去らなければ、その助け主はおいでにならない。イエス様が去って行くことを通して、イエス様が助け主を遣わしてくださるのだと。その助け主が来ることによって、真理が分かるようになるともイエス様は語られます。

 「もう一人の助け主」と言う表現から、イエス様自身も私たちの助け主として遣わされていました。この助け主と言う言葉。パラクレートスと言う単語ですが、「助け主」、「慰め主」、「教師」、「擁護者」、「カウンセラー」、「援助者」、「案内人」などと言ったニュアンスを持つ、一種類の単語に翻訳できないような深さと奥行きのある言葉です。聖霊は、イエス様が去って行った後、イエス様を愛する弟子たちを助けるために、導くために、孤独にしないために、イエス様は助け主を送ってくださるのです。そしてイエス様を愛し、信じる時に聖霊は与えられます。また聖霊は私たちを助けるだけではなく、イエス様のことを証しするための働きをするのです。

 助け主は16節にあるように「いつまでも」ともにいてくださる方です。期間限定やいなくなってしまう存在ではないのです。それは私たちに永遠と言う時間の視点で平安を与えます。心が騒ぐ状況が起こらないではない。そのような状況にあって、私たちは、聖霊がともにいるから、心を騒がせないで済む。私たちも、主にあって心騒がせないという体験をすることが出来るのです。三位一体の神様を信じ信頼するときに、神様にある平安が実現します。そしてそれは今も実現する、実現しているのだとイエス様は私たちにおっしゃられているのです。

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